愚者
この愚者のカードを観たときに、未知なるものへの冒険を感じるのか、その質問者の定まらない状態を観るのか。
その場所に位置づけられたことを考察にいれると、おのずと答えがでそうだけど、私はいつも直感で読み解くので、セオリー通りな答えはほとんど出ない。
まぁ、本来、カードにセオリーの読み解きを求めるのがおかしいともいえる。
「カードは自らの潜在意識・無意識と交信する道具です」という井上教子氏の言葉に深く共感する。
カードはいくつか保有しているが、実際鑑定で使うのはウェイト・スミス版と呼ばれるもの。(左図のものです)
このウェイト・スミス版の絵を実際に描いたのがパメラ・コールマン・スミス、そしてタロットの絵の監修・監督したのがアーサー・E・ウェイト。
アーサー・E・ウェイトはイギリスの魔術結社GOLDEN DAWNのメンバーで、このウェイト版は「生命の樹」の謎を解く鍵として編み出されたもの。
カバラの智恵を緻密に絵として具現化したものとも言え、いたるところに緻密な計算が施され、意図してメッセージを私たちに与えるように描かれてる。
本来「タロット」として位置づけるのであれば、それだけが本流とはいえないが、私は「カード」を人の生きる道のヒントを与えてくれる優れたツールとして用いているので、より、こうした意図を明確にした絵図のほうがイメージングしやすい。
たとえば、当ページの冒頭に掲げている絵図もCRYSTAL版での「THE FOOL」というカードなのだが、あらわす事象やイメージの違いは、その細部の意味を知らずとも感じられると思う。
確かにこのカードが意図しているという「型にはまらない生き方、考え方」「奇想天外さ」はどちらからも感じられるし、ふと足元をみるとそこには崖があり、「不安定さ」「一歩間違うと死となる危険」も描かれている。
が、細部においてはその事象が異なる。
たとえばウェイト版には「白い太陽」が描かれている。
白は「神性」「高潔」「穢れの無さ」を象徴し、この白い太陽は「カバラ」においては「無限の光」も意味する。
その光の向こうに旅立つ様は、宇宙のエネルギーという祝祭を受けての冒険とも読める。
また、その真っ白な太陽の光を浴びた青年のまわりの色にも注目すれば、黄色。
ウェイト版での「黄色」は、幸福の象徴である「太陽」の恵みの程を表すといわれるので、この黄色の輝きも、この青年の幸福を表す。
手に持つものにも注目されたい。
冒頭の美しい絵柄であるCRYSTAL版では「林檎」と思しき果実を手にしている。
「林檎」にまつわる魔術的なエピソードは数多いのでまたの機会にしたいが、有名なのは「アダムとイブ」における「智慧の実」そして、罪をおかすもとになった「実」。
ウェイト版ではその手にしているのは「白い薔薇」だ。
この意図は「神聖性」「崇高なる理念」を象徴する。
そしてもっとも重要といえる(私が勝手に重要視してるだけかもしれないが(笑))、ウェイト版における足元の「白い犬」がCRYSTAL版には存在しない。
この犬の存在こそが、この青年の冒険、危険を顧みない、浮かれた奇行ともいえるような足取りに、注意を促し、崖からの転落を止めようとしてくれている。
だからこそ、単にこのカード、「THE Fool」が単なる「愚者」ではなく、多くの崇高さ、可能性、探求、発明といったポジティブさを強くイメージづけるのはウェイト版ともいえる。
私はどんな状況でも、そこに神のアドバイス、慈愛あるアドバイスをもとめる人間なのでつい実際の鑑定となるとウェイト版を手にとる。
まぁ、もっとも他のカードを研究して、よりその中に叡智を知ることができれば、また別の絵柄を用いているかもしれないが。
「愚者に未知なるものを観るか定まらない状態を観るのか」
いずれの位置で出ても、私はそこに未知なるものの可能性を観ていたいし、定まらないが故の可能性を信じたいと思っている。