魔術師に創造を期するか幻想のものとするのか

月読みのタロット

魔術師

魔術師の持つ神秘性とこの一種の胡散臭さはどういうことだろうか、といつもこのカードに出会うと思わずにはいられない。

それはマルセイユ版のカードだとより顕著だ。(下図)
今にも壊れてしまいそうな3本足のテーブル、その上にはナイフや数枚のコイン、賭博などもやるのだろうかサイコロとコップなどが並べられていて、これはカバラで観る「魔術師」ではなく、大道芸人、マジシャンといった描かれ方をしている。どうみても胡散臭さ全開だ。
このイメージもまた、タロットの「魔術師」が持つものであることも、頭の隅にあるのかもしれない。

マルセイユ版を否定するわけではないが、賭博要素の強いこのカードが私は苦手なので、ついぞ実際に占いに用いたことはないが、それでも潜在意識に影響させるものがあるのだと思うと、絵の持つパワーを感じないわけにはいかない。

さて、「オカルト辞典」を紐解き、「魔術」のページをめくるとこうある。

 

 

 物質界から押し付けられた障害を突破して、その背後にある精神の領域に入ろうとする、様様な技術を現すための用語。
世俗的な力(=精霊・悪魔など)と交信し、それらを導く科学であり、同様に下級の領域にある力に命令する科学。
自然界の通常の限界を乗り越えようとすること。
霊的代行による説得(この場合は、結果的に白魔術となる)または脅迫(黒魔術になる)を通じて、一連の出来事に影響を及ぼす行為を言う

マルセイユ版の影響以外にも魔術という行為の中に「白」と「黒」を併せ持ち、神の力も悪魔の力も用いるという部分に、世俗にまみれた私なぞは「神秘性」を観るのと同時に「胡散臭さ」を感じてしまうのかもしれない。
もう少し素敵な言葉でいえば「危険な匂いを感じ取ってしまう」になるか。(笑)

人が人の力を超えて、『世俗的な力』を借りてまでも達成したいその「願望」というものの果てのなさに、危険を感じ、またそのように突き進む心根の部分に胡散臭さを感じているともいえるが、そうであってもなお、この「魔術」という持つものが魅力的であるのは否定できない。
そう、どこかで私は「魔術師」であることも夢見ている。

魔術師の頭上に抱く「∞(無限大)」のマークは、このカードにおける重要な象徴。
これを頭上から人間の魂に呼びかける「神」という理解をする方もいらっしゃるようだが、私は自己の中に内在する「潜在能力」、もしくは「ハイヤーセルフ(高次の自己)」と私は捉えている。人が持つ可能性の高さ、精神力を信じている。

彼が手にしているのは「火のワンド」、最強の想像力を自分の中から沸きあがらせようとする瞬間が表現されている。
CRYSTAL版には同時に聖杯ももっているのでそこに「人の情」をあわせもつのも印象的。
いずれのカードにも、「杖(火のワンド)」「水の聖杯」「風の剣」「地の紋章」が表現されており、4大魔術道具でありそれはギリシャ哲学にある「あらゆる万物は4元素から成り立っている」という世界観が表現されている。

火のワンドは、「人間の直感」「意志」「情熱」を象徴し、水の聖杯は「人の情」を、風の剣は「人の感覚」「思考」「判断能力」を、地の紋章は「人の肉体」「価値観」「物質そのもの」を象徴する。

つまり、火・水・風・地という4大を統合し、それらを司ることで、変化を生み出そうというカードでもあるのだ。

であるから、この魔術師のカードには「技術」「応用」「知的活動」といった意味合いも持つし、手にしている「火のワンド」から「確固たる意志」「目的」「ハッキリとした方向性」なども表す。

逆位置に出た時には、これらを持たないもの―つまり浅智慧の汎用な発想や無能をも表すわけで、場合によっては「詐欺」「ペテン」などとも考察される。

さて、タロットではそのカードの持つ数字よりも、その出てくる順番に深い意図をもっているといわれている。
先の「愚者」のもつ無知・完全なる純粋さから、「魔術師」は自分の存在を発見し、不屈の意志で、思索することで、「愚者」が運命や自然の翻弄されるのとは違い、人はこれらの暴威を乗り越える強さを持つものだということも表現してる。
つまりは、自らの力で創造し、未来を切り開こうというメッセージも持つものといえる。

魔術師のカードに創造を期するほど、その相談者の意志が強いのか、はたまた、成り行きにまかせてしまう「幻想」となるのか。

それを見抜くのがリーディングなのかもしれないが、私はいずれであっても、このカードには、人が持つ欲望というものの危険性をふまえた上で、その人が持つ可能性をより高めるアドバイスを得ることができればと願っている。

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