気づきのメモ

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというのなら、私たちは愚者であってもいいと思う

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというのなら、私たちは愚者であってもいいと思う

失敗を恐れて歴史や他人の経験から物事を判断するのも
時にはとても有効かもしれませんが
私たちは経験をするためにこの世界に飛び込んできたのですから
無知であっても時には無謀であっても
経験をしている自分を讃えてあげていいのではないでしょうか

それこそがこうして肉体を持ち
感性を持ち
あなたとまったく違う容姿と
声と思想
この宇宙に2つとない者として
この世界にやってきた理由でもあるのですから

そうであれば、私たちが愚者であってもいいと思いませんか

そしてその経験をもとに
思索し、思考し、あるとき
すべてが愛であることを悟ったならば
私たちは、自分の中の神を知る聖者になるのかもしれませんね

追記)私にとって「愚者」の持つ意味、それは「愚者に未知なるものを観るか定まらない状態を観るのか」にてふれています。

⇒ 怒りは愚者のもの?いいえ・・・それは

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